台湾グルメ図鑑
龍騰断橋

龍騰断橋

百年の煉瓦アーチ橋の残存橋脚、地震史の立体的な記念碑
📍 苗栗・三義郷・龍騰村⛩️ 史跡・寺廟🔖 1935年地震・煉瓦アーチ橋・鉄道工学史
写真: Wikimedia Commons

龍騰断橋(魚藤坪断橋)は苗栗県三義郷にある日本統治時代の煉瓦造り鉄道橋の遺構である。1906年に着工し1908年に開通したが、1935年の新竹―台中大地震(マグニチュード7.1)で橋体が損壊し、現在は橋脚のみが残る県定史跡となっている。

龍騰断橋はもとの名を魚藤坪断橋といい、1906年4月30日に着工、1907年6月1日に完工、1908年2月20日に開通した。全長164.8メートル、橋孔9つ・橋脚8基からなり、9.14メートルの半円アーチ6孔、18.3メートルの鋼板桁2孔、60.96メートルのボルチモアトラス桁1孔で構成されていた。1935年4月21日の新竹―台中大地震(マグニチュード7.1、震源は近隣の三義郷関刀山付近)により第4・7・8橋脚が切断され、同年7月17日の余震で第9アーチも崩落した。日本側は原橋の修復を断念し、西側80メートルの地点に新橋を建設、1938年に完成した。

龍騰断橋の見どころ

橋脚は煉瓦積みで外面に擬石造の紋様が施されており、日本統治時代の鉄道建設における混合的な工法語彙を示している。1908年に台湾総督府鉄道部が完成させたもので、原橋の全長は約118メートル、7つのアーチスパンを持っていた。1935年の新竹―台中大地震(マグニチュード7.1)後に橋桁の大部分が倒壊し、現在は残存橋脚が広い谷に点在し、力強く荒涼とした構図を形成している。

展望台には解説板が設置されており、橋梁の構造と地震事件の経緯を説明している。遠目に見ると橋脚が緑の丘の間に並び、台湾では数少ない開けた視野の中で産業遺跡のスケールを実感できる場所となっている。4月の油桐の花の季節には、白い花が丘の斜面を彩り、煉瓦色の橋脚と鮮やかな色彩の対比をつくりだす。

楽しみ方のポイント

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展望台から眺めるメインの展望台から橋脚群を一望できる。光線は午前中が順光で、午後は逆光となるため露出に注意が必要。
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間近で煉瓦の仕事を見る橋脚に近づくと煉瓦の積み方と擬石造外装面を観察でき、日本統治時代の建築工法を理解する実物教材となる。
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油桐の花の季節の色彩4月下旬から5月初旬にかけて油桐の花が満開となり、白い花と煉瓦が重なり、視覚的な見どころとなる季節。
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勝興駅へ徒歩でつなぐ徒歩約20分で勝興駅に連絡でき、二地点を合わせると三義山線遺址の核心ルートとなる。

実用情報

アクセスと所要時間

  • 自家用車:国道1号三義インターチェンジを降り、台13線を北行して龍騰村の標識に従う、約15分。路肩に無料駐車スペースがあるが台数は限られるため、休日は早めに到着することを勧める。
  • 徒歩連絡:勝興駅から徒歩約20分で到達でき、途中に標識あり。滑り止めのある靴の着用を勧める。
  • 終日開放、入場料不要。現地解説板で歴史的背景を説明している。

周辺スポット

  • 勝興駅:徒歩圏内。同日のコースに組み込むことを勧める。
  • 三義木彫博物館:車で約15分。屋内の文化行程を補充できる。
  • 苗49県道沿線:周辺の山道はサイクリングに適しており、三義の山城の景観を探索できる。

出典:苗栗県文化観光局・鉄道文化協会解説資料の公式情報および公開資料。

よくある質問

龍騰断橋はどのようにして「断橋」になったか。

1908年に開通した煉瓦造り鉄道橋が1935年の新竹―台中大地震(マグニチュード7.1)で損壊し、橋脚のみが残ったためこの名がついた。

元の橋の長さはどれくらいか。

原橋の全長は164.8メートルで、橋孔9つ・橋脚8基からなる、当時としては珍しい煉瓦と鋼構の混合橋であった。

地震後、鉄道はどう運行を続けたか。

日本側は原橋の修復を断念し、西側80メートルの地点に新橋を建設、1938年に完成させた。旧橋は損壊した姿のまま遺構として残された。

出典