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山后民俗文化村

山后民俗文化村

華僑商人が出資して建造した18棟の精巧な閩南建築群
📍 金門・金湖鎮・山后📷 ランドマーク🔖 閩南建築群・木彫り煉瓦彫刻・華僑商人の集落
写真: Wikimedia Commons

山后民俗文化村は金門金湖鎮にある閩南建築群で、日本を拠点とした華僑商人の王国珍・王敬祥父子が出資して建てたものである。清の光緒二年(1876年)に着工し、光緒二十六年(1900年)に完成するまで25年を要し、二落大厝16棟と宗祠・郷塾各1棟からなる「十八間厝」として知られている。

山后民俗文化村は日本を拠点とした華僑商人・王国珍と王敬祥の父子が出資し、1876年(光緒二年)から1900年(光緒二十六年)まで25年をかけて建てられ、二落大厝16棟と宗祠・郷塾各1棟の計18棟、通称「十八間厝」からなる。王国珍は1868年に渡日し、1871年に神戸で「復興号」を創業した。王敬祥は日本華僑総商会の会長を務め、1923年に日本で没した。

山后民俗文化村の見どころ

山后集落は金湖鎮の東北端に位置し、海峡に面している。18棟の建物は伝統的な集落の配置に従って並んでおり、主な建材は福建沿海から金門へ運ばれた花崗岩の石材と木構造材を含む。建物の形式は主に閩南の大厝で、一部は宗祠と公共空間となっており、格局が完全に清末の閩南伝統集落の空間秩序を反映している。

建物の木彫り・煉瓦彫刻・漆喰装飾の工芸水準は高く、破風・鴨居・窓棂にはいずれも精緻な装飾図案があり、モチーフは花卉・八卦・歴史物語に及ぶ。現在は金門国家公園が重要な文化的景観として保護に指定しており、集落の建設史と王氏一族の背景を紹介する展示空間が設けられている。

楽しみ方のポイント

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木彫りと煉瓦彫刻を重点的に観察する建物の木構造材の透かし彫りと外壁の煉瓦彫刻の文様が工芸の核心であり、拡大鏡やスマートフォンのカメラで細部を拡大して観察し、異なるモチーフと技法を識別することを勧める。
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集落の空間秩序を感じる18棟の建物の配置は伝統的な集落の軸線と院落のロジックに従っており、集落の入口から末端まで歩くことで、伝統的な閩南の村落の空間が公共から私的へと変化する層次を感じることができる。
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展示館の建造史の紹介を参照する展示空間では王氏父子の華僑送金の背景と建造の過程が説明されており、資金の出所と建材運搬の歴史的な脈絡を理解することで、この建築群が生まれた経緯への理解が深まる。
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北東の海岸を眺望する山后集落は地勢がやや高く、海峡に面しており、晴れた日は視野が広く、集落の選地背後にある地理的な考慮を感じることができる。

実用情報

アクセスと所要時間

  • 山后民俗文化村は金湖鎮の東北に位置しており、金湖鎮の市街からある程度の距離がある。自家用車またはレンタカーが最も便利であり、バスの路線は金門県バスの公式サイトで確認してほしい。
  • 開館時間と入場料の情報は金門国家公園管理処の発表に準じる。見学には1〜1.5時間を確保することを勧める。

周辺スポット

  • 陳景蘭洋館は金湖鎮成功村の海岸に位置しており、同じく金湖鎮の範囲内にある。金湖鎮の建築文化の半日コースが組める。
  • 太武山の健行遊歩道も金湖鎮の範囲内にあり、体力に余裕がある場合は同日の延伸行程として組み込める。

出典:金門国家公園管理処、ウィキペディア「山后民俗文化村」項目。

よくある質問

山后民俗文化村は誰が出資して建てたのか。

日本を拠点とした華僑商人の王国珍・王敬祥父子が出資し、1876年から1900年まで25年かけて建てられた。

「十八間厝」とは何を指すのか。

山后集落の18棟の建物を指し、二落大厝16棟に宗祠・郷塾各1棟を加えたものである。

王敬祥は日本でどのような役職に就いていたのか。

王敬祥は家業を継いで経商し、日本華僑総商会の会長を務め、1923年に日本で亡くなった。

出典